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1.罪の意識

慰安婦決議案が米下院外交委で可決された。ただマイク・ホンダ議員の案から修正され、「日米同盟がアジア太平洋地域に占める重要性の確認」や「日本の首相がこの問題で公式謝罪すれば、これまで繰り返された日本側の声明と誠実さへの疑問を解く助けとなる」-などが盛り込まれた。 

これら修正条項の中でも、特に「日米同盟がアジア太平洋地域に占める重要性の確認」という点に注目している。

アメリカ側の日本が過去の戦争を正当化し、歴史修正の動きに出ているのではないのかという懸念を示していると同時に、アメリカから離れるつもりなのかという警鐘が含まれている。

要は日米同盟を大事に思うのであれば、戦前の日本が悪の権化であり、それをアメリカに開放してもらったのだ。日本の歴史修正は認めないという立場を宣告しているということ。

その根源には、日本に対する罪の意識がある。

慰安婦問題に関する米議会調査局の報告書の中で、決議案の日本側へのこれ以上の謝罪要求に懐疑を示した上で、諸外国が日本にいま公式の賠償を求めれば、「日本側は戦争中の東京大空襲の死者8万人や原爆投下の被害への賠償を求めてくる潜在性もある」と指摘している。

これらは、アメリカが東京大空襲や原爆投下などが人類に対する罪として捉えていることを示している。

だから東京裁判史観を押し付け、戦前の日本を悪であったとすることで、原爆投下も止むを得なかったと自分自身の罪の意識を誤魔化している。


2.孤独のアメリカ

小泉前首相がブッシュ大統領との最初の首脳会談(二〇〇一年六月)で、有名になったハイヌーン外交にもその心理が垣間見える。

ハイヌーンとはゲーリー・クーパー主演の映画、邦題「真昼の決闘」のこと。

主人公は、保安官役のゲーリー・クーパーと相手役のグレース・ケリー。二人の結婚式の当日、自分が捕まえた悪漢たちが町に戻ってくる。クーパーは、保安官を辞めていたが、戦うことを決意する。

町の人々は、尻込みして誰も手をかそうとしない。ケリーまで町をでていく。クーパーはひとりで悪漢に立ち向かう。

という有名なストーリーだけど、小泉前首相は、ブッシュと会うなり、開口一番、

 小泉  「ドゥ・ユー・ノウ・ハイヌーン?」 ブッシュ「ン?」 小泉  「ゲーリー・クーパー」 ブッシュ「オオ」

とやった。その瞬間に日米同盟はOKだ、何も問題ないとその場にいた一同スタッフはみな確信したという。

「いとしい人よ私を見捨てないでほしい」で始まる主題歌に当時のアメリカの心理が現れている。そして、イラクに苦しむ今も。

その意味で「日米同盟がアジア太平洋地域に占める重要性の確認」という一文は「日本よ、アメリカを見捨てないでほしい」というメッセージにも聞こえる。


3.アメリカを救う方法

戦前の日本を悪と決め付けることで、自らの罪を誤魔化す孤独なアメリカ。でも、それではいつまで経っても、罪の意識は消えない。

そこに”赦し”がないから。”赦せる”のは、日本だけ。

だから、日本はアメリカを赦すと宣言すればいい。

「慰安婦決議案に関して、それが事実かどうかは歴史学者に任せる問題だ。真実は歴史が証明するだろう。一意見広告ごときに乗せられて、事実だったかどうかは兎も角、60年前の、しかも謝罪が済んでいる事象を云々するのが正当な行為なのであれば、過去すべての遺憾な出来事に対して謝罪し続けなければならない。

日本は東京大空襲や原爆投下について、言おうと思えばいくらでも言える。しかし、我々はそうしない。イエスも汝の隣人を愛せ、罪を赦せと言ったではないか。我々はそれに習って、アメリカの過去の罪を赦した。日本はアメリカを罪に定めない。

広島・長崎は確かに悲しい出来事ではあったが、その後はアメリカの協力のもと、見事に復興し、日本は新しい民主国家として立ち直った。アメリカは日本を復興させたことで、その罪を購った。日本は決してアメリカにブローバックしたりはしない。

日本と日本人はアメリカを赦しており、これからも赦し続ける。同盟国として世界秩序の維持と発展に共に貢献しよう。」

こう宣言すればいい。

実際はこんな宣言で核も戦争もはなくなりはしないけれど、この宣言によってアメリカの日本に対する深層意識が変わる。従軍慰安婦問題はアメリカにとっては他人事だけど、原爆と民間人虐殺の罪を赦すという宣言はアメリカに直接届く。

東京裁判史観に対して何も反論しないことは、アメリカ側の善悪判断を受け入れていることと同じ意味になる。でも、それが逆に、アメリカから贖罪の機会を奪っている。

アメリカ側に善悪があったように、日本側にも善悪はあった。それをお互い認めた上で、互いの善悪を超えて赦すといえばいい。日本から。アメリカを罪の意識から救えるのは、実は日本なのだ。 


4.赦す力

この日本がアメリカを赦すという宣言は世界に計り知れないインパクトを与える。アメリカ自身がこの宣言を受け入れるか否かは実はあまり関係ない。

非キリスト教国であり、且つ有色人種である日本が、イエスの赦しを実践した、という事実が限りなく重い。

イエスの教え自身が全世界的に普遍なものであることを証明すると同時に、本家であるキリスト教国にイエスの教えの根幹を問い直すことになるから。

この宣言は、キリスト教の教義を何一つ傷つけることなく、同時にアメリカのこれまでの行動を内省させる力を持つ。

グローバルスタンダードの名のもとに、自国の価値観を他国に押し付け教化しようとする行為。その考えが傲慢ではなかったか。そういう深層意識をこの宣言は炙り出す。

ヨハネパウロⅡ世は自身の暗殺未遂事件後「私が赦した、私の兄弟のために祈ってください」と人々に語り、実行犯を赦した。今度は、日本が赦したアメリカのために祈ってくださいと世界に宣言する。ローマ法王が説く、世界はひとつであること、宗教を超えて平和を実現すべきというアピールと同じものがそこにある。

この宣言はキリスト教国以外にも強烈なインパクトを与える。

やられたらやりかえすのが普通の世界で、「赦し」を行うことで報復の連鎖を断ち切ることができるということ。

原爆を二発も落とされたにも関わらず、「報復」を捨て、焦土から世界有数の大国になった日本。この事実が宣言に説得力をもたらす。

文明が衝突し、紛争が耐えない地域にとってはひとつのアンチテーゼとなる。

アフリカ諸国にとっては、有色人種がイエスの教えを実践した事実が、人種平等の証明と世界への宣言となり、彼らのわだかまりを解く力となる。

日本攻撃のプロパガンダを繰り返す国にとっても、この宣言はアンチテーゼとなり、他国、とりわけアメリカでのロビー活動の効果がなくなるだろう。

世界を救う鍵は日本が握っているのであり、人類にとって日本の存在そのものが福音なのだと思う。

(了)で効果があると広がり、一部で流行っている。知のブロックで表現すれば、専門研究の奥行きはゼロだが、方位と賞味期限が長い、2次元の面で表される知。

更に、まったく新しい考えは、過去の歴史がなく、専門家も査定できず、対象の方位も不明な、特移点として表現される。

専門家の査定と口コミが乖離するであろう2次元以下で表現される知の中からも有用なものが出てくる可能性は当然あって、性能表記しておく意義は十分にある。


5.知の潮流

誰でも自分の専門分野の未来は予測できる。良く知っているから。知の性能表記が普通になると、自分の所属する専門領域の指向性が高い知が将来どこに向かってゆくかの予測を、知のブロックにして発信できるようになる。

知の対象となる市場とその下のアマチュア層に厚みがあれば、発信された知のブロックが奇抜なものであったとしても誰かが受け止めてくれる。中には、さまざまな工夫や発見がされて、もっと新しい考えや商品が開発されるかもしれない。知の市場の厚みが土壌となって、新しい流れを作る。

日本のマンガ・アニメが次々と新しいものを生み出していけるのは、膨大なアマチュア層の厚みと歴史があるから。ヘンテコなものでも受け入れてくれる層があると信頼できるから、なんでも市場に出せる。指向性の高い市場から他の領域に拡散するにしたがって、知の有用性の査定と検証が行われる。

指向性が高くても時代がその知を求めることがある。その知がブームなのかトレンドなのかで、未来に渡って有用であり続けられるかどうかが決まる。ブームは飽きられる。賞味期限が短い。極言すれば本物じゃない。

トレンドは質において全方位性の種を持ってる。識者が見極め・評価し、大衆が本物の匂いを嗅ぎ取る。じわじわと使われ、長い年月を掛けて伝統や行動原理にまで溶け込んでゆく。

省エネや環境保護に関する知は昔から存在していた。最初は狭い専門領域の知だったけれど、今は時代が求めて他の領域に広がっていっている。

発信された知のブロックが有用性を持って、他の領域の人々に受け取られ、全方位に渡って拡散してゆくと、その知識が国民全体の共有知識、常識になって普段の行動や消費活動に影響を与える。やがて国全体の方向性にまで影響を及ぼす。

肥沃なアマチュア市場の大地から次の時代の知が芽を出したとしても、知の性能を査定できていないと、別の目利きに青田刈りされて他所に持っていかれてしまう。

将来、日本や世界がどんな知の指向性に向かっていくのかを見極め、その知を保護し、伸ばして、発信してゆくことで、未来の世界像が描かれる。それをいち早くつかんだ国家が世界をリードする。

(了)





カテゴリー 思索
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