
1.師弟教育制度
日本の医療はスクリーニング制度、国民皆保険制度によって安く見てもらえる。なんども篩にかけることによって本当に高度な治療が必要な人を抽出できる。企業でも同じ。毎年勤務査定・昇進をすることで、優秀な人材を抽出する。
学校の試験は大分甘い。期末テストの成績が悪いからといて留年になるケースは稀。どちらかといえば出席日数が指標。入学できるできないの厳しい試験は、高校・大学・大学院の3回、3年か4年に1回だけ。これでは篩の目が粗過ぎる。
入学は簡単にして、期末試験・進級試験を厳しくすべき。どうせ、少子化でどこの学校も生徒は不足している。何もしなくても入学試験は簡単になる。一旦入学してしまえば、後は単位を積みあげるだけで卒業できるシステムでは不十分。大学生は勉強しなくなる。
寺子屋では、年に何度も試験して結果に応じて席次を決めていた。当然進級も厳しかった。寺子屋教育システムを見直すべき。
寺子屋教育において、教師は師であって、弟子から敬われていた。教師は師となるべきで、生徒は弟子の立場。
生徒は自分で決めた師匠に弟子入りできるように、どの教師に教わるかを選択制にすればいい。教員一人でみれる生徒数は20人だの30人だからと人数頭でクラスを決めるのではなく、教師自身が面倒を見れると思う範囲で、弟子の人数を決める。
弟子が何人いてもきちんと面倒見れる教師は何十人でも何百人でも弟子を取ればいいし、厳しい教師であれば、厳しい教育をすると宣言し、少数精鋭で10名までとかでもいい。良い教師には弟子入り志願で溢れるかもしれないが、夜回り先生みたいに問題児こそ弟子にして更生させる教師もいるだろう。
人生で師と仰ぐ人に出会えるチャンスは少ない。でも、人生の糧となるのはそういう師。これぞと思う教師を選んで、弟子入りを志願する。教師が弟子入り希望者と面談して弟子としてとるかどうか決める。教師によっては、次のテストで10番以内なら弟子にするとか条件を付けてもいい。それくらいの厳しさがあっていい。
本当に弟子入りしたい教師の元へはそれこそ、下宿生活してでも教わりにいく。そういった師弟関係を構築すべき。師は尊敬の対象であって、生徒は教えを請う立場なのだ、ということを明確にする。でないと、いじめ問題とか解決しない。生徒を動物までに貶めるから、いじめになる。弱肉強食の世界になる。生徒は未来の宝であるが、宝として光るかどうかは、師の情熱とそれに応える弟子があってこそ。
生徒は尊敬できる人物に尊敬を払う。オリンピック銀メダリストの山本先生のクラスにいじめがあったとは思えないが、どうだろう?
2.順位戦
教師にも教える実力がある筈で、教員免許制度とは別に順位戦をやればいい。将棋の世界では、毎年順位戦をやって、成績上位2,3名を昇級、下位2,3名を降級とし、レベルの高さを維持してる。
教職にも査定があるのだから、たとえば、その教師に教わった生徒は劇的に成績が上がったとか、問題児の更生に著しい実績を上げたとかで厳しく査定する。実績と実力のある教師は毎年の査定で順位をつけて、優秀な教師はAクラス、次はBクラスとかに分ける。各クラスごとに定員を決めて、毎年上位と下位の入れ替えを行い、各クラスのレベルを保持する。もっと厳しくするなら、最低クラスで10年以上在籍は強制引退、またはフリークラス転籍で担任クラスを持てなくなったり、他の教師の補佐になるとかにしてもいい。
毎年の順位戦の結果をもとに人事移動などで各学校に各クラスの教員が行き渡るよう、バランスよく配置する。教師も実績があがらなければ、いつまでたっても上のクラスにいけないことになるが、キャリアは段位をつけて別に評価すればいい。教員免許更新毎に昇段するとか。学会研究発表等の実績で昇段するとか。
将棋の棋士は順位戦のクラスが下がっても段位は下がらない。同じ表現をすれば、○○教諭:九段、在籍クラスはA。とか、△△教諭:六段 在籍クラスはB2。とか。給与を順位でなく段で査定すれば、年功序列と同じになる。順位での査定と段での査定をバランスさせれば、問題も少なくなるだろう。
教師達自身が厳しい競争原理の中に身をおいて、その後姿でも教育すべき。師が弟子より努力する後姿は何よりも教育効果がある。これで高等教育のステータス、特に教師の格はうんとあがる。教師を唯の労働者にするのではなく、実力を厳しく査定し表記して、師範であることを明らかにする。弟子入りする生徒も誰に師事するか判断できる。
将棋で棋譜が残るように、昇段実績や順位戦実績を残しておけば、教師の個性もより明確になる。それをみて、この師ならと生徒が自分で弟子入り希望するようになれば、師弟の絆はより深まる。
生徒も勉強させられているんじゃなく、自分の責任で選んだ師に教わりにいくという意識が出来る。見込み違いで駄目と思ったら、師に断りをいれて、次の年に別の師に弟子入りすればいい。こうしていくことで、学歴は履歴として扱われる。どの学校を卒業したというのではなく、どの師匠について教わったかに重点が置かれる。
優れた師には優れた弟子が集まる。クラスによって学習進度もバラバラになるだろうけど、そういう教育制度があってもいい。
3.利自即利他
師弟関係にもとづいたクラス編成と教師の順位戦を行うことで、師も弟子も向上する。師は弟子の成績向上が即、自分の順位に直結するので、指導力が明確に現れる。弟子を自分で選んだ以上、生徒の出来が悪いなどと言い訳できない。
弟子もまた、良き師に巡り合うことの難しさと有り難さを感じ、学ぶこと自身に意味を見出す。自分で師匠を選んだのだから、成績が悪いのは師が悪いからだなんていえない。悪いと思ったら去ればいい。
生徒が頑張って成績が上がるほど、教師の順位も上がっていく制度。弟子達が師匠を偉くするために、自発的に勉学に励むとき、生徒達が自分達の先生を偉くしようと頑張り始めたとき、クラスはひとつの目標に向かう。
自分達の努力が自分の成績向上になり、それがそのまま他人の幸せに直結することを生徒達は学ぶ。出来る子が出来ない子の面倒をみるくらいにまでクラスの一体感が進めば、いじめは消える。
生徒達の頑張りがクラスを押し上げ、そのまま教師も押し上げる。利自即利他の教育になる。弟子が師を偉くするために努力する姿は美しい。
(了)