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1.番組がCMで、CMが番組で。  

テレビ局には自浄作用・市場原理が働いていないというとき、顧客が視聴者を指す場合のみ正しい。生産者と顧客の関係を売買契約で考えるとこの定義は間違っている。お金を払ってくれるのはスポンサー。スポンサーが顧客。

テレビ局はスポンサー商品の委託宣伝業者。スポンサー商品のCMを流すのが本来の仕事。スポンサーに視聴率を売って、お金を貰う。

視聴者は客じゃない。ただの群集。群集をどれくらい集めらるかが、スポンサーからの評価。だから、群集を集めるためにあの手この手で、芸人やら何やらを雇って、パフォーマンスを行う。うなぎの蒲焼をパタパタやって匂いで釣ってみたり。万国びっくりショーをやって、人を集めてみたり。

群集って移り気だから、つまらないと寄ってこないし、最初は面白くてもマンネリになったら離れていく。いつまでも群集を集めたいから、パフォーマンスもどんどん過激になってゆく。たまに怪我人も出たりして。  

金の流れだけを考えるとテレビの番組は全て、パフォーマンス番組しか流せない。スポーツ番組もその範疇。でもなぜか、パフォーマンスの間にニュース番組が入る。ニュース番組には公共性があるから、スポンサーだけでなく、群集も顧客になる。    公共サービスであっても、料金は払うのが普通。葉書一枚だすにも金を払う。でも、民放ならニュース番組もタダで見ることができる。

群集から金を貰ってないから、群集のいうことを聞く必要がない。好き勝手できる。スポンサーが群集の意見を代弁しているならいいけれど、必ずしもそうじゃない。

ニュース番組の質を保証するのは、テレビ局のモラル。     モラルが無くなると電波公害を垂れ流しても気にしない。いくら群集が蒲焼が腐っているぞ、といっても耳を貸さない。モラルは利権が絡んだり、金を積まれたり、時には脅されたりして無くなってゆく。番組は誰かの宣伝になったり、都合の悪いことやイメージが悪くなることは絶対流さない。これって、CMそのもの。    モラルが無くなったテレビ局では、番組とCMの名前と中身は逆になる。番組が特定の誰かのCMで。CMがスポンサーの番組で。

2.民営化と民主化   役所の民営化とかよく言われるけど、民営化と民主化は違うもの。役所の仕事が遅いから、民営化すればサービスがよくなるではないかと、軽い気持ちで民営化するのはとても危険。

公共サービスが注意すべきは、資本の過度の介入を防ぎつつ、民主化を図ること。資本が介入する度合いに合わせて、公共性はどんどん失われてゆく。カリフォルニアでは公共サービスを過度に民営化した影響で、電力危機を起こした。ある程度で歯止めをかけないと、それこそ資本家の言いなりになる。     また、公共サービスが民主化されていないと、企業のやりたい放題を誰も止められなくなって、独裁政治が始まる。公共サービスは、利用料金を使用者が払うことで民主化を担保している。サービスが気に入らなかったら、使わない選択もできる。企業側は支払いという民意を受け取ることでモラルハザードを防いでいる。

だから電気、ガス、水道、電話なんかは民主化できているといえる。民放番組は簡単に独裁制になる危険を孕む。構造的に民意は反映されにくい。しかも資本に特定団体の息が掛かっていたら最悪。

捏造報道が問題になって、非難されたり、規制がかかりそうになるたびに、彼らは報道の自由や公共性を叫ぶけれど、そうであればなおさら民主化できていないといけない。電気やガスみたいにテレビにメーターでもつけて、見た分だけ払ったほうがよっぽどいい。番組表のGコードを専用の機械で読み取れば、指定の番組だけみれるとか、ダウンロードできるようにすればもっと民意が反映される。     番組が議席で、ダウンロード数が票。  

昨今の捏造報道問題って、信頼性回復委員会とか、ネットで検証されてやっと分かった問題。電波に毒が混ざっているなんて、検証しないと分からない。     不二家の捏造がなぜ問題になったかといえば、店舗が営業停止になったり、収益が落ちたり、具体的に被害が出たから。実際に報道被害がおきたから、営業停止だ、放送免許剥奪だ、と声を上げることができた。被害がないと声すら上げられない。

プロパガンダの類は、内容自身を検証しないと公害であることすら分からないし、具体的被害が明らかになるまで放置される。風説の流布が厳しく処罰されるのは、株価に影響があって、実際に被害がでるから。  

大切なのは、報道されている内容が公害なのかどうかまず見極めること。誰かにとっての公害は、誰かにとっての利益。真実でなかったり、事実を捻じ曲げた報道があれば、そこに意図と利権が絡む。 

検証できる場合はすぐ分かるけど、資料が無かったり、隠蔽されたりして検証自体できない場合もある。

毒かどうか直ぐに分からない場合は、ちょっと薄めてから飲んでみる。具体的にはチャンネル数を増やして、相対的に電波公害の被害領域を狭くする。何が真実が分からない場合は特に有効。

ネットのいい面は情報発信するチャンネル数が何百万とあるから、物凄く相対化が進んでいる。ひとつの報道がすごく薄まっている。 報道に嘘があった時には、瞬く間に検証され、暴かれる。ブログはトラックバックやコメントで視聴者と議論できる双方向性を持つから、人気があるブログは凄く注目される。

逆に人気がないブログは自然と訪れる人も少なくなっていって、やがて消えていく。

何百万とある情報発信元も殆どが個人だから、資本の問題もない。 ネットを公共サービスとみた場合、民営化の弊害がなくて、一番民主化してる。

3.プロパガンダと逆輸入

プロパガンダって自分勝手。都合が悪いことは知らんぷり。悪い噂はあっという間に広がるけれど、いい話や真実は伝わるのに時間がかかる。人は悪い話に敏感。身を守るために必要な本能だから。プロパガンダはそこを利用する。

プロパガンダを受ける側は、大抵自分に不利なことを喧伝される。真実を身内に弁解している間に、町中が悪い噂を信じてしまう。だから、プロパガンダを受けたら、相手の弱点を即座に指摘して反撃することが大事。その上でゆっくり真実を証拠付で伝える。    だから否定的内容でプロパガンダ攻撃されたら、すかさず声をあげて反論することが大切。違うなら違うといわなきゃいけない。黙っていたら認めたことになる。

また、逆に好意的内容が報道されたら、感謝の言葉もすかさず返すのがいい。節度ある態度を示す。

相手じゃなくて、周りで見ているその他大勢を味方につけることが大切。なんでもかんでも批判しているだけと思われたら、こちらの意見を信用してもらえなくなる。

テレビで、だいぶ昔にみたけれど、ゲーム理論の研究者がシミュレーションをやった。3種類の異なるアルゴリズムをもったそれぞれの集団同士で争わせ、どの集団が生き残るかというもの。

ひとつの集団は、「裏切り」のアルゴリズム、もうひとつは「お人よし」、最後のひとつはお人よし相手にはお人よしで応対して、裏切られたら裏切り返す「折衷型」    結果は、真っ先に「お人よし」集団が滅ぼされ、「裏切り」集団が増殖していった。だけど「裏切り」集団が全体を支配する前に「裏切り」個体同士で攻撃し合って、自滅。結局「折衷型」だけが生き残った。

シミュレーションと人間は違うといっても、構造は同じ。過程が複雑になるだけ。譲ってばかりいたら、真っ先に滅ぼされてしまう。

国内メディアが特定国のプロパガンダに加担するとき、その国に都合の悪いことは絶対報道しない。実は電波公害垂れ流しより、なかったことにされてしまう方が深刻。プロパガンダを補強する上に反撃の糸口もなくなる。     国内で見向きもされなかった製品が、海外で評判になって、逆輸入されることってよくある。都合の悪いことは報道しないけれど、当の本人に喋ってもらえば、免罪符になる。

だから、プロパガンダに関する反撃も相手の都合が悪く、同質の内容でやるのがいい。

特定国に加担したメディアが絶対言えない内容は、当の本人に反論させることで報道してもらう。国内で相手にされない真実は、相手国から逆輸入すればいい。こちらの反論内容を相手のプロパガンダに盛り込んでもらう。毒消しを少し混ぜる。   

プロパガンダ相手と直接やりあうことで、プロパガンダに加担している報道機関の存在意味はどんどん無くなる。相手とこちらの声明を伝えるだけ。子供のおつかい、パシリになる。そこで初めて、報道機関本来の役目を果たすことができる。     マスコミが権力の監視者であるというのなら、少なくとも民主国家では、民意を反映しなくちゃいけないし、民意の代表者であるべき。特権階級じゃない。   


(了)


5.上位レイヤーにおける相互通信

下位レイヤーでは意思の疎通は比較的容易。相手をある程度知っているから。受け入れる準備ができている。

でも国家や民族を超えて通信されるような、グローバルに通信される情報なんかは、国境を越えるたびに、しばしば翻訳を必要とする。

上位レイヤーで伝達する情報を翻訳する場合、翻訳機能の性能が悪いと情報にノイズがのったり、データ抜けがあったりして、純粋に伝わらなくなる。特には減衰したりする。

翻訳機能には得手不得手があって、伝播される情報の内容によっては、ほとんど翻訳できないケースもあり得る。これはその国や言語にもともとその思想を咀嚼できるほどの基盤となる概念のデータベースがどれだけ充実しているかによる。

たとえば、日本語では魚に関する語彙が豊富で魚の成長に合わせて呼び名を変えたりしてる。またイヌイット語には雪に関する豊富な語彙があって、雪の細かな状態にあわせて呼び名がある。

こういった概念データベースが豊富な領域の翻訳機能の能力は高くなるけれど、そうでないものの性能はどうしても低くなる。

日本は昔から、思想の輸入と熟成を繰り返してきているために、様々な思想を翻訳できるだけの機能をある程度備えてきたといっていい。

逆にいえば、他国から思想を輸入せずとも自国だけでやっていけるような自己完結性の高い国は、思想の翻訳機能が弱いという欠点を持っているということになる。

岡田英弘教授によれば、中国の近代化は、先に開国した日本が近代化する際に、西欧文明の思想をことごとく翻訳、日本語化していたものをそのまま輸入したお陰であると述べている。

これも、自己完結性の高い国がもつ思想の翻訳機能の弱さを日本の翻訳機能の強さによって補完した好例といえる。

つまり、思想レイヤーでは、各種思想の翻訳機能が弱いと思想の翻訳がうまくいかず、思想レイヤーは活性化しない。使えないレイヤーになる。日本は概念データベースが充実しているので、この思想レイヤーも十分活性化できる素地がある。

教育効果が大きいというのは、毎日一定時間接続されて受信しているから。教育は普通は先生から生徒に教える一方通行の通信だから、集中的に影響をうける。

上位レイヤーでは、個人の思想信条に合致しないものも通信されるから、原理的に思想の衝突が起こることがあり得るのだけど、上述したとおり、翻訳機能の得手不得手による翻訳時のノイズや減衰効果による誤解と衝突もあることも忘れてはいけない。

経済レイヤーでも、こうした翻訳機能差による、トラブルを避けるために、法制度と契約条項の徹底によって、規格統一を図って、なんとか相互通信を可能にしている。

現在グローバルに通信可能なレイヤーはこの経済レイヤーだけ。それはすなわち、現在、世界標準規格の情報としては「数字」しかないことを意味してる。

文明の衝突とか言われているけれど、これは、思想レイヤーで相互通信がうまくいかずに衝突を起こしている状態とも言える。

ネオコンの言い分は民主主義思想を思想レイヤーでの世界標準規格に統一しようという試み。

アイソレーニストは、思想レイヤーの通信規格統一などやめて、衝突を起こさない範囲でだけ通信すればよいという主張。



6.バーネット地政学と縁起レイヤーの関係

バーネット地政学では、紛争地域は田舎でおこるのに対して、グローバル化が進んだ地域では起こらない。だから、他国と繋がって都会化することだ、という。

各レイヤーごとに互いに縁が沢山つけばつく程、経済的にも道義的にも縁を切るのが大変になる。縁を綺麗に切らないうちに干渉したり、紛争や戦争を起こすと、無法者のそしりを免れない。

だから、レイヤーごとの接続を沢山もてば、紛争がおこりにくいということになる。特に下位レイヤーで縁がついていると、紛争を起こす側にも、起こされる側にも、双方に道義的問題が発生する。内部で紛争に対する抑止力が働く。つまり、縁の繋がりそのものが抑止力になり得るということ。

ハプスブルグ家の外戚関係による平和維持は、下位レイヤーの接続を強くして、平和を維持した例。

田舎は普通、貧乏だから、まず経済レイヤーが育ちにくい。経済レイヤーが未発達な段階では、メディアや知的産業が主な伝達媒体である思想レイヤーはもっと形成されないし、様々な思想の翻訳機能も熟成できない悪循環に陥る。

田舎はもともと上位レイヤー自身が形成されにくい条件を持っている。

国家間の相互通信は、互いに距離が遠く離れているので伝送距離の長い上位レイヤーでしか通信できないケースが殆ど。しかし、貧乏な田舎では上位レイヤーが存在しないので、下位レイヤーで形成される、比較的近距離通信のレイヤーのブロックがばら撒かれている。

下位レイヤーでの活動の中心は主に地域生活圏だから、生命の安全が脅かされたり、互いの地域生活圏が拡大して、下位レイヤー同士が互いに衝突して紛争になる。

バーネットのいう地政学的に繋がるというのは、グローバルレベルで繋がることを指すのだけれど、縁のレイヤーで説明すれば、グローバルに縁を繋ぐとき、伝送距離の問題から互いに接続できるのは、上位レイヤーになる。しかし、上位レイヤーの形成は田舎では難しく、ある程度以上の都会を必要とする。これは、バーネットの主張と軌を一にする。

下位レイヤーレベルで直接繋がる場合は、移民または、個人的友人関係による縁を作るしかない。移民した場合は、相手の下位レイヤーとなじまなければ、下位レイヤーを形作っている縁起の織物に、別の色合いの布をいきなりツギハギしたと同じ状態になる。当然物理的衝突が起こる。バーネットの主張する田舎で紛争が起こるのと同じ状態が出来上がる。下位レイヤー同士の衝突は生活圏の確保に関わるから。

ユダヤ人や華僑は家族単位で世界中に移民している。すなわち下位レイヤー、特に最下層の家族レイヤーレベルでグローバル化しているのが特徴。物凄く縁の繋がりが強いグローバルネットワークを形成している。

アメリカはフルブライト奨学生制度なんかで代表されるように、世界中から人材を集めて、親アメリカ人材にして、世界中に送り返している。これは主に知人レイヤーで縁の接続をグローバル化する戦略。知人レイヤーでの縁の繋がりもまた強い。

世界の覇権国は上位レイヤーを抑えることで自国の国益に沿った国際法を規定し、下位レイヤーを抑えることで、他国を臣従、悪くいえば属国化することで覇権を維持してる。

だけど、下位レイヤーはその国独自の伝統や思想を伝達するのが主な役目だから、なるべく干渉しないで保持しておくのが筋。グローバル化する対象にはそぐわない。下手をすれば、相手の伝統破壊に繋がりかねない。

だからグローバル化は、上位レイヤーだけにして、下位レイヤーへの思想伝達はその当事国にまかせるべき。

今のところ、日本が世界と繋がっているレイヤーはといえば、経済レイヤーが殆ど。思想レイヤーも繋がってはいるが受信が主で、送信は殆どされていない。翻訳機能が充実しているのにも関わらず、相互通信機能は果たしていない。

下位レイヤーにいたっては、論ずるまでもない。殆ど接続すらされていない。スタンドアロンなレイヤー。

世界に影響を与えるためには、経済レイヤーだけでなく、まず思想レイヤーの送信機能の充実を図る戦略を構築する必要があるだろう。



7.鎖国の功罪

日本は開国と鎖国を繰り返しながら、他国からとりいれた文明を咀嚼していった。

縁のレイヤー構造から説明すれば、日本は、下位レイヤーを常に遮断したまま、上位レイヤーの開放と遮断のみによって他の文明を取り入れてきた。

開国時には上位レイヤーを世界に開いて、最先端の文物を受信して、ある程度受信し終わったら、今度は鎖国して、上位レイヤーを遮断した状態で、上位レイヤーから取り入れた情報を下位レイヤーに伝達していくプロセスをとった。

その際に下位レイヤーを規定・保持している日本的価値観や伝統と整合するように、相性の悪い情報は削除し、時には価値観や伝統を微修正しながら、下位レイヤーまで伝達していった。

そしてある程度下位レイヤーまで伝達し終わったころに、また上位レイヤーを開いて世界の最先端情報を受信するというプロセスの繰り返しだった。あたかもパケット通信をしてきたようなもの。

その反面、他国との受信に上位レイヤーのみ使用して、下位レイヤーは常に開放してこなかったから、下位レイヤーレベルで、世界と縁が繋がることはなかった。これは海外との外交交渉においてはマイナスに働いた。人脈や時の政権とのパイプを作れないから。



8.普遍的価値の抽出

日本的価値観の源流は日本神道にまでさかのぼる。しかし、日本神道は教義をもたないので、仏教やキリスト教といった世界宗教とは違って、個人的、地域的な下位レイヤーでしか通信されていない。

上位レイヤーで通信できるためには、日本的価値を教義化・体系化・知識化する必要がある。

また、上位レイヤー、特に思想レイヤーでグローバルに通信するだけの伝送距離を持つためには、思想に全世界的に通用する普遍性がなくてはならず、日本の風土によってのみ形成された思想では、同じような風土をもつ国だけにしか伝送できなくなる。

だからといって、下位レイヤーで世界と縁を繋いでみる戦略は善悪の両面がある。

現在、下位レイヤーで縁を繋ぐという視点からみれば、日本は世界に対してほとんど縁がついていないのが現状。ある意味世界から孤立していると述べたけれど、それが逆に下位レイヤーでの他国からの干渉を退け、日本的価値観を保持している理由にもなっている。

もし、日本が留学生や移民を大々的に受け入れ、民間レベル、個人レベルでの人脈づくりをすすめ、混血や外戚関係づくりを進めると下位レイヤーで世界中と縁が繋がる。

そうすると下位レイヤーで繋がる縁を介して世界に日本的価値観を通信できる反面、繋がった相手の価値観の影響も同時に受けることになる。その際に日本的価値観の中に世界でも通用する普遍的価値をつかんでいないと、今現在、世界でグローバルに通用している価値観に飲み込まれてしまう危険がある。

やはり日本的価値観の明晰知化を進めて、グローバルに通用する部分を抽出し、かつ共通認識として持っておくことが急務ではなかろうか。

日本が将来覇権国家を目指すことになったとしても、下位レイヤーでの世界との接続はまず上位レイヤー、特に思想レイヤーでの送信機能を拡大活性化して、世界と相互通信が十分できるようになってから後の話になる。


(了)
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