
1.価値の詰め込み方
製品は固有の機能を持つけれど、どんな機能を持っているかで価値が決まっている。だから製品は「価値を詰め込んだもの」と定義することができる。日本の製品はひとつの製品にいろんな機能をつける多機能型。無理にでも多機能にして差別化を図る。テレビデオとか、パソコンでテレビが見れるとか、2つの価値をひとつの製品に詰め込んだ製品は典型的な例。
詰め込んだ価値には、方向がある。テレビデオとか、パソコンテレビとか、よく見かける多機能製品は、同じ空間に別の価値を詰め込んでいる。十徳ナイフと同じで「水平方向」に価値を持っている。それに対して、「垂直方向」に価値を詰め込む方法がある。こちらは時間軸で価値を詰め込む。
生分解性プラスチックというのが開発されているけれど、これで作ったビニール袋は、使い終わった後、土に埋めると分解されて土に還る。「ビニール袋」という機能を果たした後で、「分解される」という機能が発生する。違う時間で、それぞれ違う価値を詰め込んでいる。
移り変わりの激しい現代で水平方向にいくら価値を詰め込んでも、時代がそれを要求しなくなったら、まるごと無駄になる。VHSのビデオデッキに付属機能をいくらつけたところで、今ではVHSそのものに価値がない。
これからは時間軸で、垂直方向に別の価値を詰め込んだ方がいい。別の価値がリサイクルの概念や価値だったら、もっといい。使い終われば埋めればいいペットボトル。土に還るだけじゃなくて、肥料や腐葉土になったりできれば、夢の島で畑が作れる。
2. 価値の運用
時間軸方向で別の価値を埋め込んだ製品は、消費しながら別の価値が発生している。「消費即生産」の価値を詰め込んだ製品ともいえる。銀行は資金を「運用」して「運用益」を得るけれど、それに似ている。製品を使うことが、「消費行動」ではなく、「価値の運用」と捉えれば、「運用益」を得られる製品ができる。
知的財産にはよくある。「書籍」なんかはそう。書籍の「運用益」は中に書いてある知識ではなくて、読んだ人の気づき。本当に役に立つ本は、読むたびに新しい発見がある。読むたびに「運用益」が発生する。古典はその最たるもの。製品寿命も非常に長い。読めば読むほど味わいが出て手放せなくなる。
運用益をもたらす製品は知的財産分野だけかといえば、そうじゃない。知的財産以外の製品でも消費者側に「運用益」をもたらすための種がある。
観光バスには、座席ひとつひとつを照らす車内灯がついている。もちろん本を読む人のためのものだけど、移動手段としてのバス本来の価値には関係ない。だけど、移動中に本を読む人には、「本を読む機会という運用益」の為の種になっている。夜に車内灯がないと、そもそも本を読むことができない。運用益そのものが出せない。ほんの少しの工夫が運用益の誘い水になる。
こういった工夫は、日本がべらぼうに強い。思いやりの伝統があるから。相手を思いやることが当たり前なので、製品にちょっと気を利かせてしまう。
新幹線の座席を回して、向かい合わせにできる工夫。家族で移動する場合にはなにかといいだろう、とちょっと気を利かせただけだとしても、移動しながら、団欒したり、ゲームしたりという「場を提供するという運用益」の種が仕込んである。
日本の製品には気の利いた工夫がいたるところに散りばめられている。これは外国には真似できない部分。思いやりの伝統が価値として詰め込まれている。こういった価値は目に見えないちょっとした部分だけど、超えられない壁のように存在してる。
3.価値の種類
価値には2種類ある。ひとつは減価償却の対象となる価値。もうひとつは、再投資ができる運用益の価値。書籍を例にとると、本を読んで新しい知識を得るのは原価償却の価値。新しい発見をするのは運用益の価値。運用益の多寡は運用者次第。
だから、本を読んで内容を理解したら捨てるという人は、本の価値を減価償却しただけで処分してる。本を読んで知識を得て、更に新しい発見ができる人だけが、運用益を得ることができる。その新しい発見をビジネスチャンスにまで結びつけられる人は、運用益をさらに再投資してる。
消費者が価値の「運用益」を投資行動に回して始めて、価値の拡大再生産が始まる。価値の拡大再生産が無限に循環していくと、最初の価値は何万倍にも増えてゆく。実際は、価値を減価償却するだけの人が大半で、運用益を得られる人はごくわずか。それを再投資できる人はもっと少ない。
本を例にとったけれど、他の製品でも同じことがいえる。どんな製品でも消費者に使われる限り、最初の価値は一定の割合で運用益を発生させ、その一部は再投資されている。製品の価値は使われているうちに、減価償却されたり、再投資されたりして循環している。
製品の製造コストより、再投資されて拡大再生産される価値も含めたトータルが上回れば、大きな範囲でみたとき製造コストはマイナスになっている。運用益を出しやすい製品をつくれるかどうかは生産者の工夫だけど、実際に製品から運用益を得て、再投資して、価値を増大させたりするのは消費者。新幹線の中で仕事している人は、その時点で運用益を出しているし、仕事の内容と結果が世の中の役に立てば、価値を再投資できたことになる。
4.勿体ない
経済大国は消費大国でもある。そうでない国の人にとっては憧れの国。ある種の特権階級。だから、経済大国の文化や消費行動は、真似され、モデルになる。特権は特権を持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだというモラルエコノミー論が正しいとすると、経済大国の消費行動はノブレス・オブリージュであるべきということになる。
彼らからみれば、経済大国の消費者が、製品の価値を減価償却だけで使う行為は、特権を使用してるだけに映る。エコ製品とエコ製品でないものがあったとき、多少高くてもエコ製品を選ぶ消費行動はノブレス・オブリージュにいれていい。環境配慮の義務を果たしている。製品の価値から運用益を得て、さらに再投資しようと勤める消費行動まで高まれば、ノブレス・オブリージュは拡大する。価値が価値を生んでいるから。
経済大国でノブレス・オブリージュを発揮する消費行動が普通になると、やがてその消費行動を他の国が真似をする。その国でも価値の再投資まで高まって、価値循環が始まれば、価値がどんどん増大する。増大した価値を適切に、たとえば環境改善とかに使えれば、もっといい。
ノブレス・オブリージュの消費行動をするには、まず運用益を得なくちゃならない。運用益は、製品の価値を最後まで生かし切ろうと思う精神が元手になる。寸分たりとも無駄にしないと、いつも思っているから考える。工夫する。改良したりすることさえある。
これは、日本の伝統の中にすでにある「勿体ない」の心だ。この中に価値を最後まで生かし切ろうとする精神がある。日本人が本来の精神を発揮しながら生産して使う時、価値の拡大再生産が始まる。それは世界を変える力になる。
(了)