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1.ネット時代の選挙

ネットの世界で最も価値のあるとされるもの、真実と暴露と高い見識。

普段表に出ない・出せないものが、ここでは価値あるものになる。だから、ネットの世界での選挙活動は、政策そのものが吟味される。選挙広報なんかによくあるあたりさわりのない表現は、華麗にスルー。訴えが真実を穿つものかどうか。政策が理に適っているか。それだけが問われる。

ネットの世界では匿名性が高いから、人は本音で話しやすい。時には家族にさえ話さないことも匿名で発言したりできる。そんなネットの世界では、理性のタガが外れる人と、リアルの世界では押し込めていた強烈な理性が輝く人の2種類に分かれる。

前者と後者のパーセンテージのどちらが多いかで、民度の高低が分かれる。前者は感情でカキコし、後者は理性でコメントする。現実社会ではそんな心の動きは表にでることは少ないけれど、行動様式の基本は同じ。無党派層を狙った演説・宣伝は前者をターゲットにしたもの。

政情が安定して平和なときはそれでもよかった。自分の支持者とじっくり話して票を固めて、無党派層には、口当たりの良いことを言って敵にまわさないようにすればよかった。

でも、ネットの世界はそうじゃない。何年かの紆余曲折をへて、2ちゃんねるを中心とした、情報ソース重視の風潮がネットに根付いたのが決定的。今の日本のネット世界は理性に重心がある。後者はもう騙せなくなった。

だから、ネット層の支持を集めようとするのなら、ネットの世界で最も価値のあるとされる真実と暴露と高い見識に訴えないと効果がない。

政見放送や遊説内容をYOUTUBEに何度もアップしたり、公約しか書いてない政党HPをいくら更新したとしても、内容が伴わなければ二度と見てくれない。

どぶ板選挙と同じ認識でネットの世界に踏み入れても痛い目をみる。現実世界では建前で応対しても、ネット世界では本音で反応するから。

今回の参院選では、自民、民主両党が公示後もHPを更新して広報活動をした。政治がネットの世界にどんどん入り込んでいる事実。組織票が存在しない世界がそこにある。

だけど、バーチャル世界であるネットが、現実社会に本当に影響を与えるかどうかについては詳細に見ていく必要がある。



2.政治系ネットブログの現実社会への影響力

今回の参院選での本当の勝利者はメディアだと言われている。それくらい破壊的な力を発揮した。それに対してネットは、ほとんど影響力がなかったように見える。これについて検討してみたい。

総務省による平成17年「通信利用動向調査」によると、インターネット利用者は引き続き増加していて、過去1年間にインターネットを利用したことのある人は推計8,529万人に達したと報告されている。

また、財団法人 明るい選挙推進委員会で第44回衆議院議員総選挙における年齢別投票率が報告されている。

それによると、50歳以下の世代でのネット利用率は90%を超えているものの、10歳上の世代ごとに利用率は約15ポイントづつ減っていき、80歳以上の世代では7.2%にまで低下する。

しかし、全体としてみた場合、投票者総数20万人のうち、ネットを利用したことがある人数は、およそ13万人にもなっている。おおよそネットの影響は投票者全体の2/3を占めているから、ネットそのものは全国に浸透しているといっていい。

次にネットブロガーの影響度をみてみる。

日本のブログ登録数はというと、同じく総務省の調査で、平成18年3月末現在868万と報告されている。

人気ブログは何万もの閲覧があるから、ブログ単独では偏りはあるけれど、おおざっぱにいってネットユーザーの10人にひとりがブロガーであって、自分で情報発信している。

だけど、政治系ネットブロガーにまで絞り込むと話は違ってくる。

人気ブログランキングというのがあるけれど、これを例にとると、ブログ登録数が42万もあるにもかかわらず、政治系ブログへの登録数は450足らずしかない。率でいけばわずか0.1%。

ネットユーザーの10人にひとりがブロガーだから、単純に登録数の10倍はそのブログをみているとしても、率としては1%にしかならない。

また、人気ブログランキング経由で読んだブログに対して、クリックすることでカウントされるINポイントでのランキングをみても、TOP100まででカウントすれば、政治系ブログは13個ランクインしているものの、TOP10にランクインするものはたったひとつだけ。

TOPは芸能系ブログで40万のポイントがあるけれど、政治系ブログでは最高でもようやく8位にランクイン。ポイントは約16万。

ブログランキングでは、10万以上のポイントがあるのは上位20位くらい迄で、あとは数万程度、100位になると2万ポイントを割ってしまう。

ブログのポイント数は、ランキング上位に偏る傾向があって、TOP100の一日あたりのポイント総数712万に対して、政治カテゴリ登録しているブログのポイント総数は72万。一月あたりでみてもTOP100のトータル2873万ポイントに対して、政治カテゴリのブログでは296万ポイントしかない。

多少乱暴な見積もりではあるが、ネットユーザーで政治系ブログをみる人は全体の約1割くらいではないだろうか。

だとすると現実社会ではネットの影響力なんてないというよりは、ネット世界の中で政治系ブログの占めるシェアが極端に低いとみるべき。これは同時に国民の政治への関心の薄さを如実に示してる。

ちなみに、政治系ブログが社会全体に影響を及ぼす範囲をシェア計算してみれば、有権者全体を100とすると、

100×0.66(ネット全体の影響係数) ×0.01~0.1(政治系ブログの影響係数)=0.66~6.6

となる。

率にしてわずか0.66%~6.6%しかないシェアを更に各種政治思想・団体、その他で奪い合う構図。これではいつまで経っても、政治系ブログは現実社会に影響を与えられない。対象としている市場が狭すぎる。



3.ネットの海と魚群

ネットは個人の本音をそのまま反映するから、お気に入りブログや気の合った仲間とだけ繋がってる。内輪サークルの輪が無数に存在してる。

ネットの海は広大だけど、広大なのは海だけで、中の魚は群れを作って泳いでいて、互いに干渉しない。そのなかのほんの一部の魚群のひとつが、たとえば政治系ブログの魚群だったりする。

回遊魚なんかは海流の流れに沿って移動するけれど、それと同じで、ネットの海をおよぐブログ魚群も、流行という海流の流れに従って移動してる。

でも行動基準は割りと単純で、餌を探すことが中心。餌場を見つける指針となる水温の変化には敏感だけど、海流の流れには逆らわないし、海流がどこに向かっているかなんてあまり気にしない。ほんの一部の魚群だけが、海流の流れ行く先を気にしてる。

理念を語る政治家とパンを欲しがる民衆。当選するのはパンを渡すと言う政治家。

まず、生命の安全があって、次に経済的安定があって、その次にシガラミがあって、その次くらいにようやく理念。そんなもの。

理念とパンの間の距離が途方もなくある。だから政治家は選挙ではパンを語る。ネットの海を泳ぐ大多数の魚群は餌に釣られるからそっちに流れる。平和なときは特にそう。

だけど、もうひとつ行動を規定するものがある。身に危険が迫ること。生命の安全はパンより大事。

目の前にサメが口をあけて待っていたら、どんな魚も逃げるけれど、サメの姿が目に入らないうちから逃げたりなんかしない。海流のはるか先にサメの大群がいたとしても、お構いなし。

今回の参院選は、自分達が泳いでる戦後レジューム海流から別の海流に乗り換えようとするための選挙の筈だった。

だけど、一部の魚が年金餌を食っちゃったなんて話に慌てふためいて、ちゃんと餌をよこせ、となった。餌を直ぐあげれば収まった可能性もあったけれど後手に回った。

悲しいけれど現実をみる限り、政治系ブログ以外の多くの魚群は目の前の餌を求め、目の前の危険だけを回避して泳いでる事実は否定できない。



4.キャズム理論

新製品、とりわけハイテク製品が市場に普及する過程について研究した理論に「キャズム理論」というのがある。

キャズム理論はマーケティング・コンサルタントのジェフリー・A・ムーアが提唱している考え方。

簡単にいうと、少数の進歩的な消費者によって構成される初期市場と広く多くの消費者が参加する一般市場との間には、おおきな溝がある。この溝を「キャズム」と呼ぶ。多くのメーカーはこのキャズムを超えることが出来ず、溝に落下し、撤退をよぎなくされてしまうという理論。

キャズムの内側にいる人たちはその分野に精通しているけれど、キャズムの向こう側にいる一般の人達は詳しくなく、興味もない。だから、キャズムの向こう側の人たちには、その分野が自分の組織や利益にどのように貢献するか、どんなメリットがあるかということを納得させなくてはならない、という。

この関係は丁度、あるカテゴリーの魚群とその他のカテゴリーの魚群の関係とぴったり一致してる。

政治分野についていえば、日本人の意識における政治とその他分野の間の深いキャズムを超えていくための方法論が、そのままネット世界での政治系ブログの影響力を拡大する方法論になる。

ムーアはキャズムを超えるには、いきなり一般市場全体を相手にするのではなく、将来的に波及効果の高いニッチ市場に焦点を絞り、新製品を投入する方法を説く。

将来の顧客のあらゆる要求に応えられる製品・サービスを用意して、時期をみて投入する。ホール・プロダクトといわれる戦略。

今なら、中国製品・食品の安全性の話題が波及効果の高いニッチ市場。それら製品や食品の安全性を「政治的に」どうすれば回避することができるのかという話題や方策をエントリーして、政治カテゴリー内のブログを充実させておく。

そのあとで食品カテゴリーのブログ、それも最も影響力のあるブログを中心に大々的にトラックバックやコメントをして、彼らに興味を持たせるといった戦略になる。

時には、危険食品撤廃運動ネット署名とかをやって、食品カテゴリーのブログで協力を呼びかける方法になるかもしれない。

ムーアは、ニッチ市場において、リーダーシップをとるための具体的な戦略を積極的にとって行っていく必要を提起しており、その有力な方法としてマスコミに取り上げられるか、「口コミ」を有力な手段としている。

ネットブログの内容が直接マスコミにとりあげられるのは難しいだろうけれど、「口コミ」ならブログの得意分野。力を存分に発揮できる。

本当は、政治と経済ってすべての人の根幹に関わってる。政治によって生命と財産の安全を確保できて、安定した経済によって生活が成り立つ。

だから、総てのカテゴリーの魚群と政治カテゴリーや経済カテゴリーの魚群をつなぐ深層水がある。それをホール・プロダクトにしてタイミングよく周辺市場に投げかける。

こうした戦略で特定カテゴリーの影響力を広げることができる。カテゴリー間のコーディネーター。周辺市場へのホール・プロダクトならぬホール・コンテンツの熟成と投入。これがネットの世界での影響力拡大の戦略となる。



5.ネット組織のあり方

政治に組織と金が必要か否か。絶対必要と答えるのが普通。

有権者、特に政治家本人を知らない層にとっては、マニュフェストでいくら政策を謳ってみても、意識下ではまだまだお上任せ。政党の歴史と実績で判断してる。これまでもそうだったように、悪いようにはしないだろう、という思い込みが幅を利かせる。

候補者本人を知らない人は、候補者本人をみて判断なんかしてなくて、その後ろの政党をみて判断してる。

売り込みにきた営業マンじゃなくて、勤めている会社の名前を見てる。大企業だから大丈夫だろう、と思う心理と同じ。営業マンは誠実そうで、悪人顔でなければ合格点。

だから、日本の政治家はまずクリーンであることが第一条件になる。政策云々の前にクリーンかどうかがくる。政策云々は政党が保障してくれると信じてる。たとえ勝手な思いこみであったとしても。

対無党派層向けの選挙戦では、候補者のクリーンイメージを植えつけられれば、半分は済んでしまう。クリーンなんだから悪いことはしない筈、という思い込みに訴えるから。

政党組織も金も、政党名が知られ、候補者の顔が知られるためのもの。宣伝広告費としての側面が強くなる。政策を練ったり、ロビー活動のための金じゃない。それは役人に任せてる。

その意味では、タレント候補はうってつけ。伝統保守政党がダーティイメージのないタレント候補を擁立さえできれば、クリーンさと顔の両方の条件がいっぺんに揃う。

要は平和すぎたということ。お上任せで巧くいっていたものだから危機意識が非常に低い。

日本のネットの世界は理性が中心。理知的なブログは沢山あるけれど、文章だけでクリーンさを伝えることは難かしい。他人のひととなりを判断するときって、その人の容姿や言動も見ているもの。情報はあればあるだけ判断の助けになる。

五感をフルに活用して判断したものは、大体あたっている。普段のひととなりって、その人の心根から染み出たもの。直接会って話すのって結構バカにならない。

テレビなどの映像情報を通して候補者を判断するのは主に、視覚と聴覚という二つの感覚から得た情報で判断しているけれど、ネットブログは聴覚が主。この場合の聴覚は文章を読むという意味だけど、ひとつの感覚情報しか持ってない。

最近は動画アップとかできるようになったけれど、動画になって初めて、視覚と聴覚という二つの感覚情報が持てる。TVと肩を並べる。ネットは時間と空間を飛び越えて相手と繋ぐことができるけれど、ブログとTVを比較すると視覚情報が劣る分TVに負けている。

また、政党組織に入ると候補者本人や有力者と直接会って話したりできるから、クリーンさだけじゃなくて、本人の政治家としての資質や考えを五感で判断できる。五感情報すべてが得られる。現実社会の組織とネットでは知覚情報の数に差がありすぎるのは明らか。

では、ネット上の繋がりなんて希薄な霧のようなもので、組織なんかできっこないかというと、必ずしもそうじゃない。

ネット上のブログで知り合った相手同士が現実社会でオフ会をするなんてのはよくあること。

気の合う仲間同士どんどん会って、五感全部に働きかけて、情報を伝達しあうことで、互いの齟齬は無くなってゆく。強固な繋がりができる。ネット社会でも現実社会でも。

ネット上で組織をつくろうとしたら、キャズム理論に従って、こうした魚群レベルのグループを互いに情報におけるホール・プロダクト、すなわちホール・コンテンツをケーブルとして繋げばいい。LAN型ネットワークモデルなら形成できる。これがネット上での組織のあり方になると思う。



6.始末に困る人

ネットが組織化されて、一定規模以上の集票組織として機能するのであれば、既存政党がネット組織に擦り寄ってくることは十分ありえる話。

与党にとっては、政権維持が第一で、政策はその次。政権を取れなければ、政策もクソもない訳だから当然といえば当然。

政党にとって、自党の支持母体や集票組織は大切な存在。企業にとっての株主、メディアにとってのスポンサーみたいなもの。

テレビメディアなどを使った大々的なキャンペーンは、絶大な効果がある。それは今回の参院選でも証明された。第四の権力といわれた存在が最も力を持つようになった。

しかしネットの世界では、新聞・テレビ自身の捏造報道や特定国のプロパガンダのお先棒を担ぐ報道を検証しては、警鐘を鳴らしてる。

メディア本来の役目であった権力の監視能力は、もはや既存メディアからネットに移ってきている。

これからの流れとして、テレビによる大衆扇動と平行して、ネットによる選挙運動や政治活動も進むことはまず間違いない。

ネットを組織化することの是非は、今の段階では分からないけれど、既存権力に取り込まれてしまうと今のメディアと同じ運命を辿る。どんな組織でもリーダーはターゲットにされる。

いろいろネットの影響力について検討してきたけれど、つまるところ、人と人の間の直接的結びつきに勝るものはない。現実社会へ影響を与えたければ、現実社会そのものに働きかけるのが遠回りのようでいて一番の近道。

ネットを使う個人の強みは、その大多数が利権と無縁な事と、その数の多さ。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」

西郷隆盛の言葉だけど、始末に困る人材が多ければ多いほど、世の中を変える力となる可能性がある。


(了)


※ 参考URLhttp://www.soumu.go.jp/s-news/2006/pdf/060519_1_bt1.pdf
       http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/060413_2.html
       http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/s44.html
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